〜「大寒(の次の日)行」〜 2000年1月22日   by K一郎


◆この寒中、果たしてツーリングは実行されるのか?
春のような暖かい日があったかと思えば、雪が舞い落ちる日がやってきたり。不安定な気候が続いた年明け。今年はじめのツーリングも、その計画段階からなにやら不穏な風が吹いていた。なにしろ、行き先が決まらない。

当初の案は「
伊豆半島、一周は無理だけど何とか半周ぐらいまわってできれば温泉にもつかっちゃおう一泊ツーリング」だったのが、「1泊は参加者が少ないから、日帰りにしてそれでも温泉にはつかりたい」になり、「伊豆はこの時期ところにより路面凍結のおそれあり、だからといって海岸沿いだけ行くっていうのもなぁ、それならいっそ房総半島」案が浮上。

一時は「いいねぇいいねぇ」と12月に行ったコースをちょこっとなぞりながら山道田舎道を経巡る第2計画が立案された。ところが、今回は不参加を表明していたMamoru氏が当日御前崎方面に出かけるという。
御前崎といえば、この時期寒風吹きすさぶ、干しイモの産地。さぞかしつらかろうと思い、思いつくままに駿河・遠州方面の名物・名所を紹介しているうちにだんだんと自分も行きたくなってきた。「
とろろ飯」「蒲焼き」「まぐろ」が食べたいなあと思っていたのは、昼休み時間だったから? Masato氏の参加表明もあり、1月22日自由参加の御前崎ツーリングを決行することと相成った。全く思いつくまま、気の向くまま。

◆「晴れのち曇り、寒気団が南下してぐっと冷え込むでしょう」
前夜の天気予報のおネエさんは、にこやかにそう予言した。ああ、なんてこった。予想最低気温は1度、最高気温も10度以下であろうという。箱根近くはもっと冷えるだろう。だんだんと気が重くなってきた。けれども、晴れるということは救いだ。何とかなるだろう。私はすっかり「とろろ」「うなぎ」「まぐろ」にとりつかれていた。
前日にMasato氏より、体調がよければ参加との連絡があったが、はたして来られるだろうか。

当日の朝、おネエさんのいうとおりぐっと冷え込んでいる。万全の防寒対策を施す。上はコーデュロイのシャツ、毛織りのセーター、フリースジャケットを着込み、その上にゴアテックスのツーリングジャケットだ。下は、スパッツの上にスポーツ用膝サポーターと、足首保護のため野球用のストキングをはく。厚手のジーンズの上にさらにかっぱズボン。ほんとはバイク用のオーバーパンツがほしいところだ。

なんだかんだしているうちに7時半近くになってしまった。集合は9時に東名中井PAだ。京葉道を抜け、首都高にはいる。渋滞が激しい。排気ガスに薫蒸されながらも、やっとの事で東京料金所を通過。路面には、おそらく長距離トラックが落としたであろうと思われる、氷塊が転々と落ちている。慎重にそれをさけ、できるだけ日向になっている車線を走る。朝日がまぶしい。指先がジンとする。空気が硬い。遙かに富士山が見える。目指すはあの山の向こう側。

◆清水へ
すいません、遅刻しました。集合地点到着は、9時半頃。すでにMamoru氏のW650が止まっている。CB750の姿は見えない。暖をとりながら本日のコースを確認しつつMasato氏の到着を待つ。やはり日頃の激務の疲れがとれないのだろうか。途中でばったりで会わすことを願いつつ9時45分出発、清水を目指す。

走り始めると、くっきりそびえ立つ富士山が近くなってくる。さえぎる雲もなく、雪化粧した山容がまばゆい。空は青く澄み渡り、山々がいつもよりくっきりと浮かび上がっている。こんな風景の見え方も冬のツーリングの楽しみの一つです。

富士川SAで小休止。展望台から見る富士山は、先ほど東側から見ていたときと形が違う。雪も山頂から3分の1くらいの高さまでしかない。いわゆる、「絵に描いた富士山」の姿だ。WHAのHP用に記念撮影をしようと思ったが、わたしもMamoru氏もカメラを持ってきていなかった。皆さんにもお見せできないのが残念です。

次なる
富士山絶景ポイントは三保の松原。いわずとしれた新日本3景の一つなので、観光客も多い。松林をくぐり抜け浜にでて眺めやれば、銭湯の壁画のような、あぁこれが由緒正しいお山の姿か。でもね、浜辺で作業していたパワーショベルと大型クレーンが何とも興ざめ。

◆さて、めしだ!
三保をでたのは12時半頃。腹が減った。さあ、ここは駿河。くいものはいくらでも、お好み次第だ。協議の結果、やっぱり「うなぎだねぇ」。ひねもすのたりの駿河湾を眺めつつ、イチゴ狩りへと誘う乙女にもちょっとは惹かれながらもR150通称久能街道をひた走る。海岸沿いの海上国道大崩海岸の方へ回りたかったが、工事中で2月の中旬まで通行止め。仕方がないので150号線バイパスのトンネル経由で焼津にぬける。

焼津であればインター近くの「
おさかなセンター」で、まぐろほか駿河の海の幸が堪能できる。ゴールデンウイークの頃であれば、由比漁港のさくらえび祭り用宗漁港のしらす祭りは見逃せない。あがったばかりのさくらえびのかき揚げうどん生しらすのわさび醤油、たまりませんなあ。このほか、静岡市内には安倍川餅丸子の宿のとろろ飯元祖大学芋の店横山静岡駅ビルの本格(?)回転寿司など庶民の味に加え、ちとお高いが日本最後の将軍徳川慶喜邸が料亭浮月楼として営業中。食い道楽の土地柄と見受けられます。

さてさて、うなぎでしたね。うなぎといえば「浜松」を思い浮かべますが、そんな固定観念はやめにしましょう。
浜松のうなぎ、やすくてうまいです。浦和のうなぎもうまいです。今回のお店は、大井川を越えた吉田町片岡の「八木秀」。たれはやや甘め。白焼きであぶらを落としながら、香ばしくうまみを残した焼き加減がたまらない。厨房から漂ってくる香りが、待つ時間を楽しくしてくれます。すぐ近くには、「小山城」という復元した城跡があり、食後の腹ごなしにもよいでしょう。

◆御前崎へ
うなぎを堪能した腹をかかえ、R150を一路御前崎へ。進んでるんだか止まってるんだかよく分からないような車の流れに、ついつい眠気がさしてくる。いかんいかん。岬が近くなるとかすかに磯の香りが漂ってくる。空は快晴。冬ではあるが、圧倒的に光の密度が濃い。南国の風情だ。

御前崎をくるりと回る。途中、灯台近くの遊歩道を散策する。生えている樹木の種類が、南房総に似ている。地理的に似た条件があるからだろう。ふと、今自分が房総にいるような錯覚にとらわれた。「
夕日がみえるん台」という見晴らし台からは、遠州灘が遙か彼方まで見渡すことができる。丘に吹く風が心地よい。

今で見れば風光明媚なこの岬は、その昔第二次世界大戦さなかに、アメリカの爆撃機B29が中部方面爆撃の目標ポイントとしていたとされている。私の妻の父母はこの近く掛川の出身だが、子供の頃、頭上を悠々と飛んで行く米軍機を見たそうだ。米軍機が飛んで行くと、決まって浜松、豊橋方面が爆撃され、黒煙が見えたという。
穏やかに見えるこの岬の沖には何双かの船が行き交っていたが、潮流の流れが激しくこの岬沖は航海の難所だそうだ。遊歩道の途中には
海難慰霊碑が建立されている。そんなようなことをつらつら思っているうちに夕暮れが迫る。午後3時をまわった。本日の予定、学びの部が残っているぞ。

◆牧ノ原、お茶の郷
御前崎をでて、R473号を北上して
金谷町に向かう。お茶の産地として有名なこの地方。
やぶきた」というブランド名で出荷されているのがこの牧ノ原産のお茶です。日当たりと水はけのよい丘陵地帯で、あたり一面お茶畑が広がっている。今は寒風にさらされ茶葉も心なしかこわばって見えた。

そんな茶畑の中に真新しい博物館がある。金谷町お茶の郷振興協会が運営する「
お茶の郷」だ。広い駐車場には軽食スタンドもあって、休憩にもちょうどよい。茶畑の丘陵地にあり、ながめも抜群。入館は午後5時まで。何とか間に合った。観覧料大人600円也。チト高いが、館内にはその時々に応じて紅茶の試飲や、ご当地やぶきた茶のサービスもある。そういったサービスもうれしいが、館内の展示品も結構力が入っていてなかなかおもしろい。

場所柄日本茶関連の展示ばかりかと思われるけれど、さにあらず。もちろん当地の茶栽培の歴史や風俗をあつかった展示品もあるが、世界の喫茶風俗にも目を向けているところが偉い。世界各地のお茶のサンプルが展示してあり、その奥には喫茶習慣を持つ海外の喫茶店を再現したフロアがあります。代表として中国の茶館、ネパールの民家、トルコのレストランを再現し、関連のビデオを上映している。また、お茶のふるさとである中国南部から、様々な歴史を経て世界の飲み物となっていった歴史を見ることができて、大変お勉強になります。もっと調べものをしたい人はライブラリーもありますから、そちらにこもるのもよろしいかと思います。

実は、私は以前喫茶の歴史を調べていたことがありました。
茶は古代中国で薬品として使われはじめ、漢代には一種の嗜好品としての地位を占め始めていたようです。時代とともに製茶技術も発達して、宋代には日本の茶道のような飲み方が確立してゆきます。
その後モンゴル族の統治時代には茶が北アジアにも普及してゆきました。煎茶(今日本で一般的に行われる茶の飲み方)の原型ができたのは明代です。
時代は下り、中国近代史の大事件「アヘン戦争」がおこります。このあたりの経緯は、陳瞬臣著『阿片戦争(全3巻)』(講談社文庫)にドラマチックに描かれております。このイギリスとの争いのもととなったのが他ならぬこの「茶」だったことは、世界史の教科書でもちらりとふれていたことですね。
ここからアジア激動の近代の幕開けを迎えたわけですが、もとはといえば、主食でもないしそれがなければ人間が生きていけないわけでもない、ただの木の葉っぱを抽出した液体のために世界の歴史が動いてしまったわけです。
なぜかイギリス人はお茶のとりこになっちゃたんですね。麻薬である「アヘン」には染まらず、「茶」にはなぜかはまってしまった。そこから今で言う貿易不均衡問題が出てきて激動の清朝末期に突入してゆきます。97年に中国返還とか回帰とかいわれた香港は、もとはといえば「茶」のせいでイギリス領になったわけなんですね。
そんなただの木の葉っぱの煎じ汁のためにがらがらと歴史が動いていった、そして、それがひょっとしたら今の世界情勢にも影響を残しているとかんがえたら、これはすごいことです。いまのアメリカの独立の遠因となったのも、すこしはお茶が絡んでいます。

人間とか歴史っておもしろいですね。と、いうわけで今回もお勉強してきました。家族へのおみやげに
安倍川餅を購入。

◆遠い山に、日も暮れて
さむい・・・。でも、気持ちは爽快。帰りは東名吉田インターから。すっかり日が暮れたが、少しずつ日が長くなってきているのがわかる。寒いからあんまりとばさないようにと思っても、道がすいているため、ついつい家路を急いでしまいました。

Mamoruさんは環八へ、私は京葉道方面へ。本日もお疲れさまでした。冬のツーリングも楽しいです。さあ、皆さんも出かけましょう。

全走行距離約550Km(千葉から)。今回の道中、WとCBの距離計の数字がだいぶ違うことが判明。100キロで3キロ近く食い違いがでた。大きいと見るか、誤差の範囲か。
                                                        <以上>